あと何回桜が観れるだろうか・・「死を受け入れ生きていますか?」

私はいつも”死”と言う事を感じながら生きています。

 

朝起きると

「あ、今日も生きてるな」

と、まずは自分が生きている事が当たり前ではない事に感謝します。

 

そして、今年18歳になるペットのクッキーさんが

今日も生きていてくれる事に感謝します。

 

そんな1日から始まる毎日は

 

死ぬ日まで、この人生をどう味わうか?

がいつも頭にある状態になります。

 

どうせ死んじゃうんだから

適当になんとなく生きていればいいや・・

 

こんな考えで生きている方も恐らくいる事でしょう。

それはそれで良いと思います。

 

だって、その人の人生はその人のものだから。

私が代わりに生きるわけではないので

 

私は私の人生をどう生きるか??に全力を注ぎたいと思っています。

 

 

 

美しい景色や花をみて感動したり

見送りに出てきた親が、またねと私に手を振る姿を目にする度に

「これが最後かも」と思う。

 

だからこそ、その姿を目に焼き付けたいと願い、生きている事の有り難さを思う。

 

 

私はいつもYouTubeはじめ、受講生さん達や家族にも

”死ぬ瞬間に「今回の人生、生ききったー!やりきった!!後悔なし、楽しかったー」と死ぬんだ”

 

と伝えています。

聞いている皆さんの心にも響けとも思っていますが

自分自身にも

「そういう生き方ができていますか?」と問うているのです。

 

人生は本当にいつ終焉を迎えるか分かりません。

皆、生まれたら「死」に向かって余命を生きていると誰かが言っていましたが

 

自分は確実に死ぬんだと覚悟をし、その事実を受け入れると

人生の本質が見えてくるとも言われています。

 

私もそう思います。

後悔しない様に生きてこそ、この地球を味わってこそ

よっしゃー、やりきった〜〜と逝けるのかと思います

 

 

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さて、タイトルにありますが

45歳過ぎた頃からでしょうか。

 

春になり、桜が咲き始めると

「あと何回この美しい桜を眺める事ができるかな・・」と必ず想う様になりました。

 

美しい桜をみているのに

なぜか少し感傷的な気分になるのが桜の不思議なところで

胸がちょっとだけチクリとします。

 

でも、そこを抜きにすると

今年も観れて最高に幸せ!と言う明るい気持ちが心を満たします。

 

桜の開花は本当に短く

人の命の儚さに例えられりたりしますが

パッと咲き誇り、人々を幸せな気分に包み、散っていく。

 

この見事に鮮やかな咲き様が

自分の人生と重なり、自分もこうでありたい、と思わせてくれるのでしょうね。

 

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ここで母の話を少しして終わりにしたいと思います。

 

3月初め頃の会話

 

私:もうすぐ桜の季節だね。

  私さ、毎年、あと何回桜が観れるかなと思うんだ。

 

母:え?どう言う意味?

 

私:死ぬまでに何回桜を楽しめるかなって事。

 

母:えーあんたそんな事考えてるの? なんか寂しい事言うね、、

  気持ちが下向きって感じ。

 

私:え? そう思ったりしない? だって1年に1回咲くんだから

  あと10年生きるとすると10回しか観れないんだよ。

 

母:うーん、まあそうだけど・・

 

 

と、こんな感じのやり取りでした。

 

私は悲しい気持ちで話した訳では無いのに、考えた事もなさそうな母にとっては

死ぬ事を前提に”桜”をみている事が

あまり理解できなかった様です。

 

まあ、あの人は

日々を精一杯生きて、時間が足りないわぁとバタバタしておりますので

そんな思いに浸る時間もないのでしょう・・笑

 

 

同じ桜でも

観る人によって違う物語がある事が楽しく、美しく

情緒があって良いですね。

 

 

皆さんは

死ぬ時に後悔しない生き方ができていますか?